読書のメリット・デメリットを考える
読書していますか?
意識高い系の定番となっている習慣「読書」でございますが、そのメリットとデメリットについて、本項では考えてみたいと思います。
まず結論から。
読書は「割と多くの人にとって」メリットになる
「割と多くの人」としました。
なぜ、「割と多くの人」というぼや~っとした言い方にとどめたのかと言いますと、すべての人間が正しく読書をできているのかどうかが疑問であるからでございます。
もちろん、正しく読書し、ただしく自分の能力に反映させられてる人間はよいのです。
そういう人も世の中にはたくさんいらっしゃいます。
ですが、それと同じくらい、読書が身についていないだろうな~って人もいる。
これも事実です。
情報の効率
今の時代、ネットで情報を得ません!って人はほとんどいなくなりました。
便利ですからね。
ネットに対して紙の本は、ネット以前の情報ソースですが、いまだに需要があります。
なぜ紙の本が生き残ったかといいますと、ネットと比べて便利じゃないけれども、紙の本独特の手触りであるとか、見開き単位での視認性など、紙の本であることのメリットというものが少なからず重要視されているから、と考えられます。
でも、それらも電子書籍の台頭で変わりつつあります。
やがて紙の本は本当にファンアイテムになり、電子書籍が市場のほとんどを占める状況がやってくると思います。
そういう状況が近づきつつあるなか、ネットで得られる情報と、電子書籍で得られる情報は、同じ画面を通してみられるようになる、ということになっていきます。
ネットも本も、スマホで見ている、っていう人はいます。僕もそうです。本はほとんどKindleで読んでいます。
そうなってくると、本とネットの違いとは端的に言って「金で買った情報か、そうでないか」という違いのみに単純化されていきます。
そして、ネットの発展によって、フリーで読める情報は当然めちゃくちゃ多くなりました。
結果、フリーで読める情報のなかにも、有料の情報(いままで本として売られていたレベルの情報)に匹敵するようなものが出てくるのです。
じゃあ全部ネットでタダで見れるもんでいいじゃん、って思うかもしれませんが、良い情報を得るには、自分にある程度の検索能力が必要です。
検索エンジンの検索結果から、探っていかねばならない。
グーグルのアルゴリズムも素晴らしい進化を遂げていますが、やはり「面白さ」を判断するにはまだまだ未熟であると言わざるを得ません。
そういったところに比べると、本というのは出版社がいて、編集者がいますので、その辺の「これは面白い!」って太鼓判がいちおう押されて発売されます。
だから、金を払って本を買うということは、そういった本への評価と信頼に対して金を払うことにも近いのです。
ネットにはクソみたいな情報が山ほどありますが、それに比べて本は(いちおう)無料の情報に比べてハイクォリティなものが揃っています。
そういう意味で、本は有益な情報ソース足り得るのです。
作家への投資
また、お金を払うということは、作家への投資と考えることもできます。
この人にまた漫画なり小説なり、音楽なりを作ってほしいなーと思うなら、そのひとの作品を買うべきです。
海外のアップローダとかに落ちてんべ、へっへーいとか思ってないで、金を払うべきなのです。
作家は商売として成り立たせる以上、自分の作品に値段をつけなくてはなりません。
商売としてやらないならすべてフリーにすればよいのですが、現実そういうわけにもいきません。
よいものが評価されるわかりやすい基準として、お金がある、ということは正しいことなんじゃないかと思います。
世の中にはそういったルートで発生するお金に対して嫌悪感や忌避感のある方もいらっしゃるでしょうが、それってとてもメルヘンな考え方だと思います。
リアルマネーとネット上の仮想通貨の話とか、僕がまだまだ知らない世界もありますが、そういう話はおいといて。
読書は冊数なのか?
お金の話ばっかするものアレなんで、次は習慣としての読書について。
よく、意識高い系の人が言ってるんですけども、「一日一冊」とか、とにかく多くの量を読むことを推奨する風潮ありますよね。
それってどうなんでしょう?
ネット上でさらっと拾った調査によると、社会人の読書量では、月5冊読めば上位10%に入るようです。
それ以外の90%は、月に数冊読むぐらいということですね。
現状がそんなもんなので、一日一冊読めるような人間はなかなかスケジュールがユルいんだなぁ、という印象です。
僕個人としては、たぶん月5~6冊くらいは読んでるかなぁという印象です。あんまり覚えてないですけど。
漫画含めるなら数十冊はカタいんですけど、みなさんそうでしょうし。
いちおう働いてます。
ただ、一日一冊読んだからといって、それは意味があるのか?という話。
現実問題、自分にとって役に立つ情報というのはかなり限られてくると思います。
「いらない知識なんてないんだよ」みたいな考えもあるかもしれません。確かにそうかもしれませんけど、今いらない知識は今入れたところでしょせん今いらない知識のまんまなわけです。
だったら、今自分にとって必要な、専門性のある知識をとりあえず取り入れる、という姿勢は割と重要だと思います。
単純にいえば、俳優になりたいならとりあえず演技の本であるとか、美容の本を何冊か読んでみるといいんじゃないかと思います。
それで「あぁ、これつまんねーな」と思ったら別の方向にシフトすればいいですし。
スタバの店員として天下とりてぇ、って志すバイトの人が、いきなり第二次大戦の歴史とか読み始めても、それはさすがに遠回りすぎねーか、と不安になります。
ある程度の遠回りは良いと思いますが、あまりに長い遠回りは自分にとって必要な何かを決定的に遠ざけているような気がします。
知らないジャンルを発掘してみるという発想はとても重要だとは思いますが、まずはもっと重要な基礎を固めたほうがより楽しめるのではないか、と思います。
読むこと自体が目的と化している読書は、なんだか自己顕示欲の象徴のようでウザいです。
フェイスブック閉じろよ。
読書のメリット:論理的思考ができるようになる←?
最後に、論理的思考を鍛えるために読書をすべき、という言論に対して。
僕はこれは普通に遠回りだと思う。
論理的にものを考えたいのなら、まずは文章を書くべきだと思う。
僕は論理的というものがどういったもんかをロクに知りもしませんが、ある程度まとまった文章を書くということに関してはそれなりに短期間で習得できると考えています。
僕はまぁいろいろ事情があって、一か月間延々キーボードをたたき続けた時期があります。その経験を経る前後で、なんか妙に頭の回転がよくなったなぁと実感しました。おそらく一日1000文字とか2000文字とか、その程度の文章量だったのですが、それでも何とかなりました。
読書はアウトプットのためにある、みたいな言葉も散見されます。これには大賛成です。
読んだものが最大限に生かされるのは、その知識を「使っているとき」に他なりません。
日常生活において使うシーンもあるでしょうし、考えるために使うこともあるでしょう。
ですが、文章や作品にしてアウトプットするときに、その知識は最大限に活用されていると言っても過言ではありません。
「いつか」使うために知識を蓄えるのではなく、いまアウトプットするために知識を吸収する、という姿勢がより能力を伸ばし、面白い人生に繋がっていくんじゃねーのかなぁと思います。
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