「継続は力なり」はマジなのか~結果と才能と努力と運と部屋とワイシャツと私~
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人生コラム
最近思うのが、結果と才能と努力は別だよな、という話です。
結果とは
結果というのは、他人からの評価によって決まります。売り上げだったり目標だったり、そういう「他人がどう判断したか」みたいなヤツです。
で、結果が出ないと「才能がない」とか「努力が足りない」みたいに考えがちだと思うのですが、それが100%正しいとはあんまり思わないわけです。
才能とは
なんか生まれつきできますよ、とか「何となく適当にやってたらできました」みたいな人のことを「才能がある」みたいに言いがちなんですけど、それはたぶんその人の努力の結果なんだと思うのですよ。かっこつけて「適当です」とか「何も考えてないです」みたいなこと言うかもしれませんが、その人はたぶん努力しています。騙されてはならない。
ただ、マジの天然で「何も考えてない」人もいるのかもしれません。いずれにせよ、そういう人々がしていることは紛れもなく他人からすれば「努力」なのですが、本人がそれを努力と思っていないフシがあるのです。
というわけで、努力してない感を出しつつ、結果を出すひとのことを世間一般では「才能がある人」と呼ぶようです。
努力とは
たぶん多くの人がやろうとして挫折するか、現在進行形で努力をしていると思うんですけど、それはたぶん続けるにこしたことはないんだろうなと思います。努力したらしたで、なんか実力はつくと思うのです。
「この画力上達法がヤバいwwwwww」みたいなクソまとめ記事でたまにある、「ずっとマル描けばうまくなる」とか、そういう類の努力に関しては諸説あると思うんですけど、少なくともやらないよりは良いと思います。丸描くのは上手くなると思いますし。
で、そういう風にやってきた努力では通用しない部分みたいのを見つけて、挫折したりするかもしんないんですけど、そこはまぁしょうがないですよね。とりあえず現状では通用しないんだな、ということは分かったとも考えられますし。
才能ないけど元気
努力したつもりだけど結果が出なくて、自分には才能がないと思って挫折してしまうことがあるかもしれませんが、他人の評価よりも自分でどう思ったかというのを突き詰めて考えてみるのもいいかと思います。
さっぱり評価されなかったけど、自分ではこれめっちゃ面白いと思う、みたいな場合って、それはすごくうれしいことなんじゃないかと思います。本当は。
ただ、結果というのは他人の評価で決まるので、それに自分の評価もつられてしまって面白くなくなってしまう、みたいなことがあるじゃないですか。
そういうのもったいないよな、と思うのです。
最近僕が標榜している「才能ないけど元気」というフレーズがあるんですけど、これはそういう人向けの自己満足フレーズです。「評価しない他人がいたところで、それで俺が倒せると思うのか? 俺は無敵だぞ」という意味で使います。
実際、他人に評価されなかったところで落ち込んでいるのは自分ひとりなので、そういうことなら自分さえ元気にやっていれば他人の低評価なんて気にならないぜ、という思考です。
まとめ
この記事も、別に多くの人間に読まれることは想定しておらず、いちぶのマニアのみが読むであろうと思っております。これを読んでる君よ、心配するな。いくら評価されてなくても、きっといつかどこかで誰かが見ている。ちょうどこの記事と君の関係のようにだ。
だから、出来ることから何かを始めて、できるなら楽しく続けられる方法で、継続してみればいいのだと思いますよ。
他人の言う「こうしろああしろ」よりも、自分がどうなりたいかを考えて動くべきなのです。
今はそういう理想すらないかもしれないけど、なんかしてれば徐々に何かが生まれてくると信じております。
腹減った。
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