ボカロを聴けなくなってからボカロが聴けるようになるまでの話
どうもカルロス袴田です。ボカロ楽曲をつくったりすしの絵を描いたりしています。
最近ひとの作ったボカロ曲を聴くとウワァァーーーッってなっていたんですが、治りました。
人としての器
私という人間は、とりあえず嫉妬心の塊みたいなヤツであります。
ひとが自分につくれない曲をつくっているのを目の当たりにすると、ウギャアアアアとなって弾けて空へ飛んでいってしまいます。
それほどまでに心が弱いです。
なので、ボカロの楽曲を作っているくせに、ぼからんですとかカテランも含め、ヘタしたらニコニコのランキング自体ほぼ見れなくなっていた始末。
そんな状況が数か月続いたかもしれません。
慣れた
そんな状況のなか、私が耳に入れることを許していたのは海外のロック。それもなるべく古いものがよい。
とにかくロックンロールというモノへの原理主義的崇拝を強めていったわけです。
それにより精神を安定させていました。
そうこうしていくうちに、よくよく考えていけば今の音楽だって昔の音楽だって、結局は人の造りしものであるという考えがひょっこり心に浮かんでまいります。
1960年代にプレスリー先輩から影響を受けて始まったビートルズ、それに対するストーンズ。
みんな誰しも人の子であり、誰しも悩みながらそれでも楽しい音楽を作ってきたわけじゃないか。
じゃあぼくもがんばろう!
という非常に安直な心の動きを経験したわけです。
古いものと新しいもの
よく言われるのが、古い作品は時間の経過を経て、それでもなお現代に残っている。だから、現代の流行よりも古典を優先して吸収すべきだ。
という考えです。僕は未だにわりとこの考え方を強くもっていますし、これが間違っているとは思いません。
でも、結局生きているのは今この場所なわけですので、だったら今の文化も並行して吸収したほうが楽しいよな、とも思います。
新しいものは古くなるのも早いですが、新しいものを新しい状態で楽しめるのも今だけなのです。
だったらまぁ、楽しんだもの勝ちでは??????みたいな。
そんな気分になった話でした。
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